relativism about scienceについて説明するとき、
ラカトシュで引用せねばならないものはなさそう。
彼はその線の人ではないんだろう。
これがでてきたきっかけになったのはクーンであろう。
そこが口実として利用されたのだろう、彼はそこまで言おうとはおもってなかっただろうから。
つけこんだのがファイヤアーベントで、
まあラカトシュはそこにツッコミいれるつもりだったのかもしれないけど死んじゃった。
ファイヤアーベントの問題は、まあこれはこの時代の科学哲学に共通する問題だけど、
チェリーピッキングが著しいこと。
科学ってフィールドをものすごく広くとらえて、
そのなかから好き勝手に題材をピックしてくる。
そしてものすごく自由な外挿をする。
すると、何でもアリになる、まさにファイヤアーベントが言ったように。
ただ、こんなことされると、現場の科学者はこまるのよ。
知見に客観性がなくなると、知見の合算ができないから。
ってことをどこまで論文で説明したもんかな。
たとえばファイヤアーベントの言ってたことは、科学者や科学の進展のためじゃなくて、
ふつうの人に向けて書いていたらしい。
against method
の初版では、それがむしろダダイズムに沿っていたような注釈があり、
後の版ではこれは削られて、どちらかというと(その言葉を使ってないんだけどたぶん)
反知性主義の立場のようなことが書かれた章が加えられている。
なんてことはトリビアルすぎるかな。彼、そんなに重要じゃないよね。
文系の人はだれが何を言ったかに異常にこだわるけど、
科学者にしてみればそれはまあ些細なことで、
何がより正しい考え方なのか、がはるかに重要。
ところで、フレームワークを乗り越えることを勧めたポパーが、
自分のなにかをちょっとでも批判されるとものすごく反応したり、
大衆のために哲学をやるんだとか言ってたファイヤアーベントの文章がめちゃめちゃ読みにくかったりするのは、
―― これ、難しいこと言ってるから難解なんじゃないよ?
わかりやすくする、紛れないようにする努力を怠っているからだよ?
ほんと馬○みたいだと思う。
まあポパーのは可愛げがあるんだけどね、
笑っちゃうような文章がちょくちょく出てくるし。。。。
たくまざるユーモアなのかなあ? 講演のあとで、冗談にとられたって
怒ってることがあるみたいなんだけど、
天然の人だったのかもしれない?
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